Walk Don't Run

日常にいくばくかのジワリがあれば

幼稚園児の質問に本気でうろたえた話。

昨日、子供とお風呂に入っていた時の話である。 その一切のケガレのない透き通った瞳に見つめられ、突然「ねぇパパ、人間ってどうして生まれてくるの?」と問われた私は冗談抜きでしばらく固まってしまった。 ワイモバイルのCMの桐谷美玲や斎藤工ばりに「ズキューン」という感じである。

 

我が子の成長に驚いたといった話では無い。 続けて「だってこことここに骨があって、背だって伸びるじゃん」とか全く訳のわからないことをホザいていたので、彼にとっては深い哲学的な意味合いは一切無いのだろう。 「どうしておちんちんって付いてるの?」といった疑問と同程度、単に思いついたことをそのまま口にしてみただけのはずだ。

 

私が動揺したのは、自分が普段なるべく深く考えないよう意識的に避けている問いを、息子が明確な言葉として目の前に突きつけてきたからだと思う。  人生の目的の喪失。

 

「四十にして惑わず」という言葉があるが、40を超えてなお我が人生はブレまくりだ。 惑いまクリスティ。 今思えば二十歳の時の方がはるかに明確なビジョンと芯の通ったポリシーを持っていた。 ココロの中にあった自信や誇りといった類のモノは今や風前の灯、自分がどこに向かっているのか、どこに行きたいのか、人生航路は全く見えてこない。

 

 

しかし、最近になってようやく少し吹っ切れてきた気がする。 そんなことはいくら悩んでも仕方がない。 明日隕石が落ちてきてみんな死んじゃうのかも知れないのにそんなこと考えて何になる。 やることやって、なるようになる。  「人生は死ぬまでの暇つぶし」 それもまた一つの真実のはずだ。

 

 

色々なブログを読んでいるとココロのバランスを崩しているヒトが非常に多いことに驚き、その度にいつも「人生についてちょっと真剣に悩み過ぎちゃったのかな」と考える。

 

幸いなことに私は今のところ心身共に健康である。 おそらく。  そしてこれは単なる押し付けだが、子供には「自分が生まれてきた意味」なんてことを考える人間にはなってほしくないと願う。

 

「どうしてお尻は2つに割れてるのか」  そんな話を今はまだまだお風呂で一緒にしていたいと思う。  二十歳過ぎてもそのままだったらそれはちょっと困るけどな。。。

 

 

Peach