ぼくのはじめての海外旅行【リライト版】

古いブログ記事を読んでいると自分で書いておきながら恥ずかしくなるような文章や表現が出てきて、ちょいちょい手直しをするんだけど、下の投稿に関しては手直しというより書き直しレベルの変更をしたくなってしまった為、思い切ってこうして別記事にするのを試してみる。

分割してX(Twitter)にも投稿してみようかと思う。

もう30年近く前のことになってしまうけど大学時代、突然海外旅行に行ってみようかと思い立った。国内は親にも色々と連れて行ってもらったけど海外は未経験。時間のある学生時代に一度ということでパスポートを取ってとりあえず近くて安い韓国に行くことにした。

友達もあまりいなかったので一人旅にしたのは納得だけど、今でも不思議なのは初めての海外にも関わらず何の準備もせずに出発したことだ。買ったのは釜山行きの夜行フェリーの片道チケットだけ。それ以外は帰りのチケットもホテルも、何ひとつ調べず手配もしなかった。「オレってちょっと変わってるし」という若者特有のイキりなのか、それとも単なるバカだったのか・・・

フェリーターミナルは背中に大量の商品を背負った行商のオバサンで賑わっていた。フェリーはここを夕方出発し翌朝早くに釜山に到着する。初めての出国手続きを済ませ船に乗り込んだ。節約のためもちろん2等船室、雑魚寝のカーペットフロアである。

最初の洗礼は船酔いだった。大きな船ということで油断していたが、ゆったりとした揺れでもすぐに気分が悪くなってしまい、食事も取らずに横になるといつの間にか眠ってしまっていた。夜中に目覚めると気分はいくらか良くなっていたものの、もう一度眠ることはできそうになかったので船内を歩き回ったり、窓から真っ黒な海を眺めたりして過ごした。

夜が明けると目の前には釜山の街がひろがっていた。デッキに出て眺めていると船室で近くに寝ていたおじさん二人組が声を掛けてきてしばらく雑談することに。仕事で来ているそうで、このフェリーも釜山の街も常連ということであった。

「もし良かったら一緒に朝メシ食べてかない?」と気軽な感じで誘われた。今ならいったん警戒してしまうシチュエーションだけど「はい、お願いします」と、この世間知らずのチェリーボーイは微塵も疑うということをしないのだ。

ラッキーなことにおじさんは単なるフツーにイイ人だった。釜山の市場で刺身や煮物など色々と食べさせてくれたにもかかわらず代金は決して受け取らず、最後に「気を付けて」と言い残し去っていった。

さて、釜山に来てみたものの何の予定も立てていない。とりあえず釜山タワーに行き下の広場の売店で買ったカップラーメンにお湯を入れてもらいベンチで食べたことは覚えているけど、その後はひたすら街をブラブラしていたような気がする。

当時は店舗の看板や案内にも英語や日本語表記が少なく、どんな店なのか何を売っているのかが外観からはイマイチわかりづらかった。窓から覗いて入ろうか迷ってやっぱりやめるというパターンを繰り返したりして、なんだかんだ言って恐怖心があったのだと思う。

昼食はさんざん迷ったあげく地元の人が多そうな小さな食堂に入ってみた。小さくて不鮮明ながらもメニューに写真が載っていたからだ。やたら色が赤いのは気になったものの一人鍋みたいなのと炒め物を頼むとやってきたのは写真以上に真っ赤な料理だった。頑張って食べたものの最後は結局ギブアップでごめんなさい。

夕方になり宿を探すことにする。足で探して飛び込みの直接交渉だ。何件かあたってそんなに高くない小綺麗なホテルに空室があったので、とりあえず一泊だけお願いしてチェックインした。

部屋でしばらく休んでいたところ、だんだんと頭が暑くなりクラクラとしてきた。初海外の緊張の糸がいったんほどけたせいか、あるいは昼に食べた真っ赤なアイツのせいか、すぐにまともに立っていられないくらいに悪化した。今日はもう外出もできないだろう、熱いシャワーだけ浴びて寝ることにする。

残念ながら翌朝になっても体調は回復していなかった。全身が熱い。薬を買うとか病院に行くとかという選択肢は浮かばず、頼れるものが無い以上とにかく体調を元に戻すしかないとその日は完全休養に充てることにした。ホテルに連泊を申し出る。「Don’t Disturb」部屋で布団をかぶりひたすら眠り続けた。

若さというのは本当に価値あるもので、その日の夕方になるとカラダは完全に復活していた。風邪だったのか食あたりだったのかそれとも知恵熱か、そんなことどうでも良いと思えるほどの回復っぷりだった。夜の街へ出て今度はあまり辛くない料理を慎重に選んで食べた。そして思う存分歩き回った。

翌日、すっかり元気になった私は、しばらく考えてソウルへ行ってみることに決めた。駅の窓口で筆談を使い特急セマウル号の切符を買う。ソウルまでの4時間余りはあっという間だった。車窓から初めて眺める異国の風景。

もちろんソウルのことも何ひとつ調べていなかった。結局ここでもひたすら街歩き。当時田舎町に住んでいた私にとってソウルはとてつもない巨大都市に感じられ、地下鉄を使っていろんな場所を歩き回るだけで飽きなかった。

一つだけハッキリ覚えているのが焼き栗の屋台での出来事だ。歩き疲れてちょっと甘いものが食べたいと思い屋台のおじいさんに指を一本立てて注文してみる。おじいさんはこちらに向かって指を二本立て、私は200ウォンを差し出す。レートの感覚に慣れていなかったとはいえそんなに安いはずはなくて、おじいさんはさっきまでの穏やかさがウソのようにすごい剣幕で、そして日本語で「にしぇん!!!」と声を張り上げた。

2,000ウォンを持っていない訳では無かったが、すっかりビビってしまった私は結局買わずにそそくさと逃げ出してしまった。向こうにしてみれば単にからかわれたように感じただろう。本当に申し訳ないことをした。

夕方になり釜山の時と同じく飛び込みでホテルを探した。何泊かしたはずなのに全く記憶にないところをみるとごくフツーのビジネスホテルだったのだろう。そしてソウルではだいぶ色々なところを歩き回ったはずなのにあまり思い出せることが無いのが悲しい。焼き栗のインパクトにすべて上書きされてしまったということもあるのかも知れない。

もう一つ今でも信じられないことは、この時点で帰国の手段を何も考えていなかったことだ。「釜山に戻ってまたフェリーの切符買えばいいんじゃね?」くらいな感じで。

しかし、考えてみるともう一回釜山まで行くのも何だし、もう船酔いはイヤだしで飛行機で帰りたくなってきた。航空券を探してみよう。

飛行機の絵の看板が出ている旅行代理店を見つけ、紙に「FUKUOKA」と書いて見せるとカウンターの店員さんはすぐに理解してくれたようだった。往復でなくて片道でというのを伝えるのにはちょっと苦労したものの思いの外あっさりと翌日のソウル-福岡便を購入できた。12,000円くらいだったような記憶がある。これで一安心、そして翌日あっという間の短いフライトで無事福岡に到着した。

今になって振り返れば、旅行保険も掛けていないしクレジットカードも持っていないのに現金もそこそこしか準備しておらず、なおかつ帰りのことも全然考えていないというリスク的に問題ありありな旅行だったけど、インターネットもスマホも無い時代、ヒトリで誰にも頼らず外国に行って無事に帰ってこられたという事実は、今に至るまで自分の中ですごく重要な意味を持っているような気がしている。普段は意識することが無いとしても。

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