Walk Don't Run

日常にいくばくかのジワリがあれば

陰キャもグルーヴする香港の夜。

普段、音楽とはあまり縁が無い生活を送っている。 もちろん嫌いな訳ではないが、積極的にCDを買うことも無いし、コンサートやライブに行った経験は僅かだ。 ちょっと逸れるがカラオケも大嫌いである。 たぶん、人前でノリノリになったり歌ったりというのを避けようという潜在的な意識が働いているのだと思う。

 

 

 

その夜、私は香港の蘭桂坊(ランカイフォン)地区にいた。 傘をささなくても大丈夫な程度の霧雨が降る中、特に行く当てもなくブラブラと歩いている。 香港への一人旅、数時間前に着いたばかりだ。

到着早々にさっそくやらかしてしまいちょっとブルーが入っていた。 ホテルへ向かうタクシー、古ぼけた料金メーターに表示される数字の小数点を読み落とした。 つまり一桁多い10倍の料金を差し出してしまう。 冷静に考えればすぐに気付く間違いだが、着いたばかりでレートの感覚がつかめていなかった。 そして完全にボーっとしていた。 運転手も運転手だ。 それを指摘せずに走り去った。 気付いた時には後の祭りである。

 

 

ホテルの部屋で30分ほど落ち込んだ後、食事をしにやってきたのがここ蘭桂坊だった。 ライブハウスやパブなどが立ち並ぶいわゆるナイトスポット、眠らない街だ。 普段の私ならあまり立ち寄らないエリアだと思うが、先ほどの失敗をどこかで取り戻したい気持ちがあったのかも知れない。

 

Lan Kwai Fong

 

店は数多にある。 選び放題だ。 しかしだからこそ決まらない。 入る店を決めあぐねたまま、もう30分以上ブラブラしていた。

最終的に選んだのは、あるライブバー。 メチャ混みでなく、かといって空席が目立つ訳でもない。 ここなら旅行客がヒトリで入っても間が持つような気がしたからだ。

 

入口には黒服の店員が立っていた。 まさにアニメに出てくる「門番」といった感じの超マッチョの黒人だ。 そこでドア・フィーを払う。 10香港ドルだったかと思う。

お酒と軽いつまみを買って席に着くと、ほどなくしてライブが始まった。 ナイスタイミング。 タクシーの失敗を少しだけ取り戻せた気がした。

 

 

無名のバンドには違いなかった。 この値段で観られるくらいだから。 ところが歌も演奏も信じられないくらいに良かった。 基本的にカバーばかりなのだが、超ベタ過ぎもせず、しかし誰でもが聴いたことがある曲を適度な疾走感でつないでゆく。 しばらくすると完全に引き込まれていた。

 

 

リズムに合わせてカラダが揺れていた。 知っている曲は歌っていた。

日本では完全に陰キャのメガネのオッサンが、遠く香港の地でgrooveの渦に飲み込まれていた。

 

 

気が付くとライブは終わっていた。 お酒のせいも多分にあるとは思うが、半ば放心状態で店を出る。 そして歩いてなんとかホテルに着くとそのまま倒れ込むように寝てしまった。

 

 

 

「今まで観たライブの中で一番良かったのは?」 もし今そう聞かれることがあったなら。

「ほとんど行ったことないからベストなんて選べないよ」 そうやってお茶を濁すことだろう。

しかしココロの中にはあの夜の光景が浮かんでいる。 それだけは間違いない。